侘び寂び。
慎ましく、質素なものの中に、奥深さや豊かさなど「趣」を感じる心、日本の美意識(Wikipediaより引用)。生産性を高めるだとか高付加価値という言葉が溢れている昨今、『フェラーリと鉄瓶』の著者、奥山清行さんはカーデザイナーとして世界を渡り歩いてこられたからこそ言える示唆に富んだことを言っておられる。あえて引用させていただくと、こうだ。『かつての日本文化は、「切り捨て」が美でした。作ろうとしているものからどんどん要素を削ぎ取っていき、「これを取ったらもう成立しないか」というギリギリのところまで削いだものを良しとする文化です。』(『フェラーリと鉄瓶』(PHP研究所)2007年)この一文を読んだとき、頭の中を衝撃走った。かのフェラーリのデザイナーとして活躍された奥山さんの言葉だけに奥が深い。
更に書籍の帯には『傑作は「足し算」からは生まれない。』とある。今の世の中、とかく私たちはデジタルのチカラ、否、AIやらChat GPTやら最新のテクノロジーを駆使して生産性を高め、価値を見出そうとする。そのために、ひたすらデータを足し算し続ける。ひたすらデータを足し算し続けて属性を知り、ナラティブまで調べ上げ、価値やフェイクをつくろうとする。
侘び寂び。
コロナ禍という言葉も聞く機会が少なくなり、海外からは日本の文化に触れようと、海外から多くの訪日外国人が日本を訪れる。切り捨ての文化の国だからこそできる「引き算」で、これからの私たちに大切な何かを、傑作をつくることを夢見て…
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